世間では普通に拷問と呼んでいるが、奉行所の正しい記録によると、笞打、石抱き、海老責の三種を責問、または牢
問いと云い、釣し責だけを拷問というのである。
阿房はなおも推返して、「何の用にするぞ」と
問いぬ。
が、ある問題で、一座が
問い疲れて、自然に静かになった頃に、良沢はきまって一つ二つ
問いただした。
そこで、人でのうて何が歌うと、母親が
問いかえした。
源吉の問にはすぐには答えないで、
問いかえしたのは、四十余りの屈強な漁夫であった。
「こう爺さん、おめえどこだ」と職人体の壮佼は、そのかたわらなる車夫の老人に向かいて
問い懸けたり。
ハイデッガーが「
問いは何ものかへの
問いとして『問われているもの』を持っている」といってるように、
問いの中にすでにその事柄の本質が横たわっているのである。
「いくつかね、年は?」と、私が
問いますと、けげんな顔をしていますから、いま一度
問い返しました。