と、きっぱり言われてもパミールの辺りで、風の
問題といえば季節風以外にはない。
巫女の腹に寓つた神子が神であり、現神——神主——であると言ふ信仰が、日本に段々発達して来てから、人間身の完全不完全を
問題とせなくなつたものか。
且学校、試験の
問題といふ奴が得て細かい小部分の事項——書物さへ読めば直ぐ解るやうな小さな
問題を出すゆゑ、大体に通じてゐたゞけでは失敗する。
はたしてかれの論文が正しいかどうかは別の
問題として、かれはつぎのようなことを結論している。
文学者は一の社会
問題なり、貧民が、僧侶が、娼妓が社会
問題となれる如く。
そういう話であるが、その沈黙の留学生の言葉を記者は今おもい起して、亜米利加
問題と或る関連を有たせたいのであった。
文芸と階級
問題との関係は、頭と毛生え薬との関係に似ている。
(その原因がどこにあるかは別
問題として)大衆文芸が盛んになつたのはほんたうに小説に飽き足らないよりも、講談に飽き足らない読者を開拓した為だ。
この南北の區別を基礎として、歴史上より南支那開發の蹟をたづぬることは、可なり興味深い
問題と思ふ。
すなわち映画界で五年間の休業をしいられることは実際
問題として生きながら干ぼしにされることと何らえらぶところはないのである。