これはいはゞ北と南の相違をのべてゐるのであるが、見方によれば、明暗の差はあれ、
愁ひの切なさ、感傷の深さ、郷
愁の悲しさ烈しさは一脈通じてゐるといへる。
秋という字の下に心をつけて、
愁と読ませるのは、誰がそうしたのか、いみじくも考えたと思う。
この楓橋は、唐の張継の詩、月落烏啼霜満天、江楓漁火対
愁眠、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船によつて、有名である。
だが毎晩聞えるのでは無く、月も星も無い嵐の晩に、
愁々として聞えるのであった。
現に先生の奥さんなどは
愁はしい顔をしてゐられたものである。
心にまかせざること二ツ三ツあれば、怨みもし憂ひもするは人の常なるが、心敦げなるこの花に対ひて願はくは憂ひを忘れ
愁ひを癒さんかな。
乘客の暗
愁とは他なし、此の不祥を氣遣ふにぞありける。