今までの世間の習慣は、学
問といふものをあんまり崇めすぎて、一般の人達から遠ざけてしまひすぎました。
人には性の要求と生の疑
問とに、圧倒される荷を負わされる青年と云う時期があります。
訊
問ということを一つの芸術と心得ている津村検事は、ちょうど芸術家が、その制作に着手するときのような昂奮を感じているらしいのである。
この目覚しいのを見て、話の主人公となったのは、大学病院の内科に勤むる、学
問と、手腕を世に知らるる、最近留学して帰朝した秦宗吉氏である。
その職業は弁護士であるが、十年ほど前から法律事務所の看板をはずしてしまって、今では日本橋辺のある大商店の顧
問という格で納まっている。
まず、第一に自分の懐いていた、二つの疑
問とは何であるか。
「将軍吉宗の計略で無いかな?」——それは実に大正の今日まで、疑
問とされている出来事であった。
兩漢の學
問といへば儒學に限るが、その儒學者中にも南支那人は餘り見當らぬ。
思うに経済
問題が真に人生
問題の一部となり、また経済学が真に学ぶに足るの学
問となるも、全くこれがためであろう。