手頃な丸太棒を差荷いに、漁夫の、半裸体の、がッしりした
壮佼が二人、真中に一尾の大魚を釣るして来た。
私が今話の序開をしたその飛騨の山越をやった時の、麓の茶屋で一緒になった富山の売薬という奴あ、けたいの悪い、ねじねじした厭な
壮佼で。
その友人の死床に侍したと云う、岡の口からきけば、可なり凄
壮な話である。
哂うべき、——しかし
壮厳な我我の愚昧に依ったのである。
江北三十九万石の領主浅井長政は、その当時まだ二十五歳の若者であったが、兵馬剛
壮、之を敵にしては、信長が京都を出づるについて不便だった。
秀吉その答を
壮とし「汝は京都に送り磔にしようと思っていたが」と云って許してやった。
それは彼等の笑を買うべく、余りに
壮厳すぎる滑稽であった。
向者より待合所の縁に倚りて、一篇の書を繙ける二十四、五の
壮佼あり。
しかしこれから若く成って行くのか、それとも老境に向っているのか、その差別のつかないような人で、気象の
壮んなことは
壮年に劣らなかった。