大河の両岸は、細い樹の枝に、薄紫の靄が、すらすら。
一行はいま私が講演した会場の寺院の山門を出て、町の名所となっている
大河に臨み城跡の山へ向うところである。
その後深川の永代橋際の永代亭が、
大河の眺めがあるのでしばしば会場になつたのである。
そうしてそこは、揚子江、黄河、メーコン三
大河の水源をなし、氷河と烈風と峻険と雪崩とが、まだ天地開闢そのままの氷の処女をまもっている。
たゞ宿酔猶残つて眼の中がむづゝく人もあらば、羅山が詩にした
大河の水ほど淡いものだから、却つて胃熱を洗ふぐらゐのことはあらうか。
されば
大河を前に、うつろひ易い人生の姿を見てあれば、「水無月や人の淵瀬の大井川」(蓼太)といつたやうな感じに打たれないものはなかつたであらう。
だが、この鮮麗な
大河の風色と熾烈な日光の中では決して不調和ではない。
山の峡間がぼうと照らされて、そこから
大河のように流れ出ている所もあった。
公立八雲小学校の事は
大河でなければ竹箒一本買うことも決定るわけにゆかぬ次第。
遠海も、
大河も、町の家並も、汽車も、凡て八月のこの曇つた一日を平和に送つてゐるらしく見えた。