私が絵を習い始めた頃を
想い出すと、まことに伸々として懐かしいものが、数々あります。
このなつかしさに対しては、去年の夏から互に許し合っている水泳場近くの薄給会社員の息子薫少年との小鳥のような肉体の戯れはおかしくて、
想い出すさえ恥じを感ずる。
何でも奇俊王家郎と称されたと云うから、その風采
想うべしである。
亀遊のこの歌をみるごとに、私は米英打つべし! を高らかに叫んだ水戸の先覚者、藤田東湖の歌を
想い出すのです。
いまそれを一つずつ
想い出すままにとり出して並べてみるのも何かの役に立てばと考えるので……
要するに、根柢において父は感情的であり、母は理性的であるように
想う。
直情径行といえばすぐに私は宇治川の先陣あらそいでおなじみの梶原源太景季を
想い出す。
ウオーキン・ミラーといえば直ぐヨネ・ノグチを想い起すのが在米日本人であり、ヨネ・ノグチといえば直ぐウオーキン・ミラーを
想い出すのは日本の詩人たちであろう。
わたしの
想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。