私の玩具道楽、しかも我楽多玩具に趣味を有っているのは、少年時代の昔を
懐しむ心、それがどうも根本になっているようです。
さう言へば、横光君は大分で生れ、伊賀で育つた人と聞いてゐるが、いづれにせよ、故郷を
懐しむ心を、彼ぐらゐ豊かにもつてゐる文学者を私は多く知らぬ。
寧ろ今日の僕は、かかる国土をしみじみ痛ましく思ひ、その国土に於いて、戦ひ、生き、しかも自然を愛して来た民族の相貌を
懐しむ心が切である。
「その時蜑崎照文は
懐ろより用意の沙金を五包みとり出しつ。
大井は書物を抛り出して、また両手を
懐へ突こみながら、貧乏揺りをし始めたが、その内に俊助が外套へ手を通し出すと、急に思い出したような調子で、
いま一つは、これまたなまめかしい白綸子づくりの
懐紙入れでした。
欣
懐破願を禁ず可からずと雖も、眼底又涙無き能はざるものあり。
これは境遇と性質とから来ているので、晩年にはおいおい練れて、広い襟
懐を示すようになった。
乞食は猫を撫でやめると、今度は古湯帷子の
懐から、油光りのする短銃を出した。
さもあらばあれ、われこの翁を
懐う時は遠き笛の音ききて故郷恋うる旅人の情、動きつ、または想高き詩の一節読み了わりて限りなき大空を仰ぐがごとき心地す」と。