それから半年程して、
救援会の女の人が、田舎から鉛筆書きの手紙を受取った——それはお安が書いた手紙だった。
私は自分の娘が監獄にはいったからといって、
救援会にノコ/\やってくるのが何だかずるいような気がしてならないのですが……
而もまた糧食を負ひ、茣蓙をかつぎ、削ぎ竹を杖にして、近親の安否を案じ、朋友の
救援に赴く者も亦一つとして死線の険難に惑はざるはなかつた。
それから八月十四日
救援の聯合軍の入城するまで滿二ヶ月の間、飢餓か戰死かの最後の一線まで追いつめられた籠城が行はれたのである。