その以来、かれは其の居を北の城
楼へ移して、ふたたび殿中には立ち入らなかった。
その夜森博士邸に観潮
楼歌会があつて、パンに出席した二三人の人がそこに行つた。
私は、百花
楼というその土地でいちばん上等の旅館に泊ることにきめた。
その
楼は、この通りに立ち並んでいる粗末な二階家の一つでした。
半三郎はやはりその午後にも東単牌
楼の社の机にせっせと書類を調べていた。
楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。
それは或夜、大変混雑な文学者会が、某洋食店
楼上で催され麻川氏もその一端に居た。
きさらぎ、やよひ、ひうらうら」と訓み給ひけむ神託もさることながら、大江朝綱が二条の家に物張の尼が「月によつて長安百尺の
楼に上る」と詠じたる例に従ひたる処多し。
しかも明治維新とともに生まれた卑しむべき新文明の実利主義は全国にわたって、この大いなる中世の城
楼を、なんの容赦もなく破壊した。