けれども璽光様ははじめから邪教の
様式で登場したからお笑い草ですんでいるだけのことで、人ごとではない、璽光様はわれわれの心に住んでいるのである。
全然強制するのはイケないことだが、一応は案をつくつて、強制的な
様式をとらなければ埒があかないといふことも事実である。
後に、陰陽道の
様式が這入つてから、祓への前提として、神が現れる様にもなつた。
とある八尋殿は、構への上からは殿であるが、
様式からいへば、階上に造り出したかけづくりであつた、と見て異論はない筈である。
素朴な意義は、神の意思の存在を古代生活の個々の
様式に認めて言ふのであつた。
出雲風土記のあぢすきたかひこの命の伝説は、皇族以外にも貴種誕生には、同様の
様式が考へられたことを示してゐるのだらう。
処が、蕃国の使に発せられるのりとなる、大・次の二
様式がどうして発生したかゞ、問題になると思ふ。
しかし見方によつては鋼の螺線で作つたルネサンス式の図案
様式の扉にも思へた。