空
濠と云ふではない、が、天守に向つた大手の跡の、左右に連なる石垣こそまだ高いが、岸が浅く、段々に埋れて、土堤を掛けて道を包むまで蘆が森をなして生茂る。
東京の木工船会社で新造した百八十トンの機帆船昇龍丸が試運転をかねて
濠洲に初航海した。
聞けば中央停車場から
濠端の電車の停留場まで、傘もささずに歩いたのだそうだ。
東は大野川が城
濠の代りをなし、西南は滝川が代りを成している。
でなければ、大阪方が何の代償もなしに、大事な
濠を潰すわけはないのである。
そして青くしずまり返った御
濠の水には、鵜が一羽黄いろい首をのばして飛んでいたりするのが見える。
上ではない、その下のほうの
濠に、いぶかしい品がぶかりぶかりと浮いているのです。
濠ばたの柳からまずその秋がふけそめて、上野、両国、向島、だんだんと秋が江戸にひろがると、心中、川目付、土左衛門舟、三題ばなしのように決まってこの三つがふえる。