その昔、重慶
相場というのがあったがその上をいく暴価じゃ。
技やよしあしの何は問はず、黒人は存外まづいものなり、下手なものなり、いやでも黒人となりて、其処に衣食するに及べば、已に早く一生の
相場は定まれるものなり。
この時代の下女奉公として、年に三両の給金は法外の
相場である。
二朱銀は知れたものですが、一方は慶長小判ですから、その頃の
相場でも五枚で五十両ぐらいになります。
九月の九日、菊見の節句にゃ暮れの六ツから、北町南町両ご番所の者残らずが両国の川増でご苦労ふるまいの無礼講と、昔から
相場が決まってるんだ。
金は当時の
相場に換算して一万フラン余りのものであったのですから、大いに元気づいたわけです。
鉢卷をしたつて、すつとこ被りをしたつて、願人坊主の
相場がどう上るものか。
尤も地もの張と俗に號する徒は、懷中の如何に係はらず、恁うしたさもしい料簡と、昔から
相場づけに極めてある。