また続日本紀大宝二年正月条には、正六位上丹比間人宿禰に従五位下を授くとあって、別に火明命の後裔と称する丹治比姓のもので、間人姓を
称えたものであったと見える。
)の調子で響いたので、お源が気を揉んで、手を振って圧えた処へ、盤台を肩にぬいと立った魚屋は、渾名を(め組)と
称える、名代の芝ッ児。
その美しき花の衣は、彼が威霊を
称えたる牡丹花の飾に似て、根に寄る潮の玉を砕くは、日に黄金、月に白銀、あるいは怒り、あるいは殺す、鋭き大自在の爪かと見ゆる。
この魚市場に近い、本願寺別院—末寺と
称える大道場へ、山から、里から、泊りがけに参詣する爺婆が、また土産にも買って帰るらしい。
『御した』というのは、主上ご食事の砌ご正膳の外に、副膳を奉るのであるが、その副膳のことを
称えるのである。
また利休居士の珍重していた「赤がしら」と
称える水さしも、それを贈った連歌師の本名は、甚内とか云ったと聞いています。
そう云えば「こんたつ」と
称える念珠も手頸を一巻き巻いた後、かすかに青珠を垂らしている。