二葉亭や
美妙斎の大胆な試みに過ぎなかつた時代から見れば、今日の口語文は、確に一種の形式を備へたものになつて来てゐる。
美妙斎や紅葉の書斎のゴタクサ書籍を積重ねた中に変梃な画や翫弄物を列べたと反して、余りに簡単過ぎていた。
我風流吟客を迷はせたるもの、雪月花の外はあらず、此一事も亦た以て我文学の他界に対する
美妙の観念に乏しきを証するに足るべし。
夫れ此「ユングフロイリヒカイト」は人間界の清潔、温和、
美妙を支配する唯一の重宝なり。
美妙氏の作に就きてにはあらねど、余は聊か、劇詩の前途の為に究めたき事あり。
疑ひもなく「お夏」は巣林子の想中より生み出せる女主人公中にて尤も自然に近き者なり、又た尤も
美妙なる霊韻に富める者なり。
瓜の蔓に茄子を求むるが如きは、努力の方向が誤つて居るので、詩歌の
美妙なものを得んとして、徒らに篇を連ね句を累ぬるが如きは、間接の努力が缺けて居るのである。