タマーラ・カルサビイナのピカソにおける如く、私も屡々私の知人の南国人達に、表現の形式に差はあつても、同じ真実を
見出しがちだ。
がさうなる迄には三人のオービユルン家のものが、其宝を
見出して、そして死なゝければならない。
彼は、ふと自分の方へ動いてくる群衆の流れのうちに、ある一つの顔を
見出した。
が、その間に大尉は初めは少しも気がつかなかった苦いかすが、中尉との交情の中にあることを
見出したのである。
アントニイもきっと我我同様、クレオパトラの眼とか唇とかに、あり余る償いを
見出したであろう。
最後に、内供は、内典外典の中に、自分と同じような鼻のある人物を
見出して、せめても幾分の心やりにしようとさえ思った事がある。
私はこの小さな油画の中に、鋭く自然を掴もうとしている、傷しい芸術家の姿を
見出した。
が、世紀末に人となつた僕はやはりかう云ふ彼の中に有史以来の僕等を
見出してゐる。