「私の父も念流の
目録まで受けた人ですが、私は剣は使いません。
信子はこの美しい居間で、暇々に、草骨の蔵書整理をやり、
目録をつくつてゐた。
此の「我家の平和」は、彼の傑作の一つで、国立劇場コメデイイ・フランセエズの上演
目録中に加へられてゐるので、私も、その舞台を観たことがある。
営利本位の劇場が、それぞれ上演
目録の一部を「時局向き」に着色しはじめたことについては、今私は何も云ふことはない。
第四、上演
目録は、新進作家のものか、或は西洋劇の巧な翻案を選ぶ。
現在の観衆を前にして——殊に観衆を尊重する意味に於て——かくの如き上演
目録は、恐らく上乗のものではあるまい。
統一ある上演
目録の作製を忽せにして、劇団の芸術的存立は覚束ない。
若し夫れ其大略を知らんと欲せば、「鏡花全集」十五巻の
目録、悉載せて此文後に在り。
支那の記録にはミシアといふ言葉に、彌尸訶(『貞元新定釋教
目録』)、彌施訶(大秦景教流行中國碑)または彌失訶(『佛祖歴代通載』)などの漢字を充てて居る。