洗骨の風が古く我が国に存したということは、不幸にして未だ
記録の上に的確なる証拠を発見しえぬ。
かうして一揆は四郎の指揮に従ひ十二月一日原の廃城に小屋がけて籠城ときまつたのだが、原城包囲の記述も亦精密であるとはいへ、この
記録の長所はそれではない。
記録の価値は、必ずしも「知らしめる」ことのみにあるのではなく、寧ろ、「感じさせる」ことの深さ浅さによつて定るのである。
さて、議長は誰であつたか、これがわからぬのは甚だ遺憾であるが、手許には速
記録の抜萃だけしかないので、致し方がない。
それ以来、十八世紀の初期に至るまで、彼が南北両欧に亘って、姿を現したと云う
記録は、甚だ多い。
斯く云わば此
記録の何たるやは自ら明かならん、個は罪人を探り之を追い之と闘い之に勝ち之に敗られなどしたる探偵の実話の一なり。
其故すべて過去つた國民の風俗といふものは其の國の人の
記録に待つよりも却て他國人で其地方を見物に行つた、其人の
記録の方が何時も參考になるのであります。
數あるマホメット教徒の
記録の中で、その内容の豐かなる點より觀ても、將た又その年代の古き點より觀ても、所謂『印度支那物語』を第一に推さねばならぬ。
では、何時頃、舶載されたかと云ふと、
記録によつて、年代が一致しない。
史は説文に事を記す者と解いてある如く、元來朝廷に於て
記録の編纂を司どる人の役名であつたのを、後に編録した書物にも此名を應用するに至つたものである。