若い人たちというものは、道楽者の
道義感と違って、みんな胸にともかく理想の光を宿しているものだ。
ある意味では近代的とも云へる性格の持主、日疋祐三は、その古めかしい
道義の観念を、あらゆる行動の面に於て生かしきらうとした男にすぎない。
敗戦後国民の
道義頽廃せりというのだが、然らば戦前の「健全」なる
道義に復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は最も然らずと思う。
君の妹さんのことだから、同じように
道義にはあついのだろうと……いや皮肉じゃない。
その話は人に物の哀を感ぜさせ、興味を催させ、
道義の念を感発せしむる節の頗る多い話であつた。
然れども吾人、豈偏狭自ら甘んぜんや、凡そ
道義を唱へ、正心を尊ぶもの、釈にも儒にもあれ、吾人焉んぞ喜んで袂を連ねざらんや。
世間の
道義は之に対して声を励まして正邪を論ず、何ぞ迂なるの甚しき。
然らざれば平凡なる真理と普通なる
道義を繰返して、彼等の心を飽かしめざるべからず。
一 道を同し義相協ふを以て暗に集合せり、故に此理を益研究して、
道義に於ては一身を不顧、必ず踏行ふべき事。