政治家とか、何んとかいつても、実際骨のあるものは
幾らもありはしない。
元来がほとんど武家屋敷ばかりであった所へ、維新の革命で武家というものが皆ほろびてしまったのであるから、そこらには毀れかかった空屋敷が
幾らもある。
そうして
幾らもないそれらの本が尽きてしまうと、地理学の雑誌を枕もとにならべさせた。
これもあなた方のお笑いぐさですが、その頃にはまじめにそう云い触らす者が
幾らもある。
今はどうだか知りませんが、昔はこんな悪い女が
幾らもいたもので、こんな奴は奉行所の白洲へ出ても、さんざん不貞腐って係り役人を手古摺らせる。
「尤もそこは女だけに、将軍家の御落胤というほどの大きな触れ込みをしないで、男の天一坊ほどの評判にはなりませんでしたが、小さい女天一坊は
幾らもありましたよ。
昔は自転車なんてものはありませんでしたけれど、それでも飛んでもない災難に逢った子供が
幾らもありましたからね」
故人作物の批評や、案内の類の書き物は、手近いところに
幾らもあるのだから、そんな點では、私如きは、手を空しくして眺めてゐる外はない。