すると天保十年頃意外にも服部平四郎は突然
往くえを晦ましてしまった。
旅館の主人、馬を勧め、剛力を勧め、蓆を勧め、編笠を勤む、皆之を卻く、この極楽の山、只一本の金剛杖にて足れりと広舌して、朝まだき裾野を
往く。
今は名古屋に
往く人を見送る爲めに新橋に來てゐるのだ。
それが判ると、僕が態々君をお招きした理由に合点が
往くだろう」
右に行くものゝ袂は左に
往くものゝ手に把られ、左に行くものも亦た右に
往くものに支へらる。
又河南の白馬寺へ
往くと、白馬寺の六景と稱するものがあつて、その第二を焚經臺といひ、即ち漢代に道經を焚いた舊蹟と傳へてゐる。
と無慾の人だから少しも構いませんで、番町の石川という御旗下の邸へ
往くと、お客来で、七兵衞は常々御贔屓だから、
此復読をすることは小学校へ
往くようになってからも相替らず八釜敷いうて遣らされました。
がたがた馬車が、跳ね返る小馬に牽かれて駆けて
往く。
自分はなお奥の方へと彼らの間を縫って
往くと、船首水雷室の前に一小区画がある、そこに七、八名の水兵が、他の仲間と離れて一団体をなし、飲んでいた。