貝原益軒先生は只今房事中と来客を断られた由であるが、私はかういふ
聖人賢者は好きではない。
支那の
聖人に似てゐる駱駝が、唇をふるはせながら子供にせんべいを貰つてゐる。
」と言つたやうに、その完全なる相は、
聖人の晩年に於てすら体得できがたき程のものである。
送別會——老女亞尼——ウルピノ山の
聖人——十月の祟の日——黄金と眞珠——月夜の出港
吾が輩も所謂支那の
聖人の中で、最も孔子を崇拜いたし、また耶蘇や釋迦以上に孔子を贔屓して居る。
その家から孔子の如き
聖人の生れたのも、偶然であるまい。
鄭廣は
聖人面する彼の新同僚が、支那官吏の常習として、何れも中飽——袖下——を貪つて居ることを察知して、一日極めて皮肉な詩一首を作つて彼等の廻覽に供した。
この畜生同様の囚人の間にあって、僕自身は
聖人か仙人かのようであったことは、前にちょっと言った。