先日お湯の中で考へたことであるが、戦争中の銭湯はもつと
ごみごみしてもつと不潔であつたけれど、洟をかむ人は少なかつたやうである。
ある重苦しい雲の垂れこめた日の朝、京城での有名な廓、新町裏小路のとある娼家から、みすぼらしい風采の小説家玄竜が
ごみごみした路地へ、投げ出されるように出て来た。
彼は
ごみごみした往来に駄菓子を食つて育つた少年だつた。
来目部小楯が、縮見細目の新室に招かれた時、舞人として舞ふ事を、億計王の尻
ごみしたのも、此側から見るべきであらう。
最初、船頭を賺して、夜中潜かに黒船に乗り込もうとしたけれども、いざその場合になると、船頭連は皆しり
ごみした。
彼は
ごみごみした往来に駄菓子を食って育った少年だった。
おまけに窓の外を見ると、始終
ごみごみした横町に、麦藁帽をかぶった支那の車夫が、所在なさそうにうろついている。
それがここから見ると、丁度大学の艇庫に日を遮られて、ただ
ごみごみした黒い一色になって動いている。
殊に
ごみごみした現代などでは、劃然と飛びはなれた夢幻の境地であり、また現実の境地でもあります。
式亭三馬が何年か前に出版した滑稽本の中で、「神祇、釈教、恋、無常、みないり
ごみの浮世風呂」と云つた光景は、今もその頃と変りはない。