リリスはそのとき白い波の立つ海辺を歩いてゐたが、
たそがれる海の色がリリスの眼に映つた。
しかし歌はともかく、秋の
たそがれの坂の景色を私はその後も時々おもひ出してゐた。
音無川にそうて、
たそがれの水のせせらぎにつつまれて物思いにふけりつつ歩く。
たそがれ時に現れるのはコウモリと同じく、木の枝から枝をとんで食物をあさる習性らしい。
家忠日記天正十八年二月二十二日の条に「伊可御茶屋之普請は、晩より夜まで雨ふりかみなり」とあるのは、
たそがれ・夕景などの意であらう。
両岸の家々はもう、
たそがれの鼠色に統一されて、その所々には障子にうつるともしびの光さえ黄色く靄の中に浮んでいる。
……此の狂言はまだ見ないが、古寺の廣室の雨、孤屋の霧の
たそがれを舞臺にして、ずらりと此の形で並んだら、並んだだけで、おもしろからう。
半里ばかり砂地を歩みて、大洗につきたる頃は、日は
たそがれに近かりき。