おおらかな
夕べのこの安息のうちに山々は自分たちをとりまいて立っていた。
夕べともなれば高級車がごッた返して門前に交通整理の巡査が御出張あそばすほどの大繁昌だから斜陽などとはもっての外で、日蝕族とでも言うのだろう。
一時は猫も杓子も有頂天になって、場末のカフェでさえが蓄音機のフォックストロットで夏の
夕べを踊り抜き、ダンスの心得のないものは文化人らしくなかった。
夕べの山路には、人かどふ神の出るものよと聞けりしかば、暮れはてぬ程にともと来し道をひたくだりに走せくだる。
——だが君は、
夕べが訪れると、君の窓辺に坐り、心のなかでそのたよりを夢想するのだ。
孔子また言わずや、朝に道を聞かば
夕べに死すとも可なりと。
余は、國府臺の上、掛茶屋に腰かけ、杯を手にして、
夕べの景色を眺め入れる也。
雨に早く暮れし
夕べ、風呂湯ありやと問へば、なしといふに、益※失望して、數杯をかたむけて止みぬ。