「
好色破邪顕正という書籍、その新聞紙の包みが、ちょうど、殺人事件のあった大平氏宅の前に落ちて居たのです。
禅僧に限らず村の知識階級は概して移住者でありすべて
好色のために悪評であつた。
然しフロオベエルは——彼は文学の中において結局単に甚だ
好色であつた。
野卑や
好色の翳がないのは、その魂が破壊といふ最後の崖しか見つめることがなくなつてゐる証拠であつた。
たゞ通俗な戯作の筆と踊る
好色な人形と尤もらしい風景とが模様を織つてゐるだけである。
さはれ紅葉は徳川時代の所謂
好色文士とは品異れり、一篇の想膸、
好色を画くよりも寧ろ粋と侠とを狭き意味の理想に凝らし出でたりと見るは非か。
彼は売色塲裡に人と成り、此も
好色修行に身を抛ち、彼も華奢豪逸を以て心事となし、此も銀むくの煙管を路傍の狗に与へて去るの傲遊を以て快事となす。
範実などと云ふ男は、篳篥こそちつとは吹けるだらうが、
好色の話となつた日には、——まあ、あいつはあいつとして置け。