物自体に即することが散文の
本質で、語に焦点をおくことを
本質的に嫌わねばならないのである。
けれども、普通の人々はそれに氣が付かないから、我々人間の
本質がそれを持つて居ないやうに思つてゐる。
かういふ風に芸術方面に於てその形式、
本質のため必然的にプロレタリアの精神に味方しそれを表現できないものがある。
固よりかゝる作に於ても仙子氏は自分のよい
本質から全く迷ひ出てはゐない。
仕事の
本質がいささかも、美に関係なく、したがつて美が何だか知りもしない医者が愚かなる若者をだまして醜い顔をこしらえあげ、しかも金を取つているのである。
即ち、主人は、ヴァイオリン弾きの
本質を達観し得なかった。
ここに理想の花あれど色を含み現實の霞あれど靉靆の形に於いて清亮の質を帶びるものを「朧」の
本質ともいふべきか。
すなわち癩のあらわれとしての最もシリアスで、同時に最も
本質的な面は当然これを忌避しなければならぬことになる。
その一つは彼等が一時の状態を永久の傾向であると見ることであり、もう一つは局部の側相を全体の
本質と考えることである」