殊にこの特長の発達している私には食後の大儀なこと、客人の前の長時間などは、つくづくこの女子にのみ課せられた窮屈な
風習に懲りて居ます。
というのは、今でも印度辺りでは客に出す食物は、大抵木の葉に盛って捧げられる
風習がある。
近代に於て、巫女を拝する琉球の
風習は、神々のものと考へたからでもなく、巫女に附著した神霊を拝むものでもなく、巫女を媒介として神を観じて居るものゝやうである。
極の近代まであつた、不景気の世なほしに、秋に再び門松を立てたり、餅を搗いたりした二度正月の
風習は、笑ひ切れない人間苦の現れである。
江戸の学者が、一も二もなく外来
風習ときめたものゝ中にも、多くは、固有の種がまじつてゐる。
それは兎も角も、昔の希臘では上流人は特に香料を愛好し、毎日香油を身体にぬる
風習があり、従つて希臘全盛時代に於ける香料の消費額は莫大なものであつた。
何となれば、数百年の永き月日の間、日本の男子は年寄りて後、その家督をせがれに譲りて隠居するの
風習なりければなり。
その間にこれらの各集団は、その共通起原の伝習も痕跡も失って、各々違った言語や
風習や宗教を持つようになり、まったく異なった種族を形づくってしまった。
これらの應對は、食人肉の
風習の存在を承認せずしては、十分に理會出來ぬことと思ふ。
支那に於ける宦官の起源を、必ずしも西方の
風習に關係せしめて説明するに及ばぬかと思ふ。