因循怯懦の厭世港は
黎明日本に皮肉な一役をつとめたのだ。
靄の深い
黎明の空氣のなかに蜩が鳴きはじめる時分自分はよく眼を醒して窓を明けた。
「いのち」という文字には何か不安に対する魅力や虚無から出立する冒険や、
黎明に対しての執拗な追求性——こういったものと結び付けて考える浪曼的な時代があった。
感想をもとめられて、今、私は改めて云ふこともないが、国民の一人として、今年こそは東亜の天地に
黎明がおとづれることを祈るものである。
十数年後に至つて、小山内薫は土方与志と共に築地小劇場を創設し、いはゆる「新劇」の
黎明が再び訪れたかにみえたことがある。
北支の
黎明は、この不安と恐怖の黒色を次第に安堵と希望の明色に塗りかへつゝあることは事実である。
この「ボヴァリイ」といふ姓の選び方が既に写実の
黎明を告げるものである。
世界の戯曲史を繙く時、われわれは、古典主義の「法則」が、かの浪漫派の馬蹄に蹂躙される事実を見、近代の
黎明が、輝やかしい希望を乗せて近づき来る姿に胸を躍らせた。
すると、
黎明はその頃から脈づきはじめて、地景の上を、もやもやした微風がゆるぎだすと、窪地の霧は高く上り、さまざまな形に棚引きはじめるのだ。
かくて二人は一山の落ち葉燃え尽くるまで、つきぬ心を語りて
黎明近くなりて西の空遠く帰りぬ。