そして大の男が綴方に没頭し、面白くもない綴方を、面白くない故に
純粋だの、深遠だの、神聖だなどゝ途方もないことを言つてゐた。
小栗の物語と、要点比べの上に於て、もつと古く、
純粋だと見える甲賀三郎も、蛇身を受けたのは、ゆゐまん国の著る物の所為だとせられて居る。
純粋なちりめんを素肌に着た気持ち——一応は薄情なやうな感触であり乍らしつとりと肌に落ちついたとなると、何となつかしく濃情に抱きいたはられる感じでせう。
が、これ等の考は、吾々が描かうとする対象を見る時、只それ等を色として光として蔭としてのみ感じるのが、絵画的に
純粋であると断定したところに致命的な誤りがある。
第一の種類に属する人は、その人の生活全部が
純粋な芸術境に没入している人で、その人の実生活は、周囲とどんな間隔があろうと、いっこうそれを気にしない。
が、若し「
純粋な」と云ふ点から見れば、——通俗的興味のないと云ふ点から見れば、最も
純粋な小説である。
(したがって
純粋な立場からいえば、配役は演出者の仕事であるが、実際には必ずしもそうは行かない場合が多い。
川をはさんだ山は紅葉と黄葉とにすきまなくおおわれて、その間をほとんど
純粋に近い藍色の水が白い泡を噴いて流れてゆく。
茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、
純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである。