古の史家などは多くは此を前兆であらうかと取扱つて、そして正史にも野乗にも採
記したのであるが、これも亦たしかに幾分か有理なる社会事相解釈の一面である。
が、勿論前に
記したやうな仕組になつてゐるのだから、籤に書かれた花の名と、造上げた舞台の花とが一致することはいふまでもない。
以上に列
記したるものを、はじめをはり取揃へむか、いくら安く積つて見ても……やつぱり少しも安からず、男子は裸百貫にて、女は着た処が、千両々々。
小櫻姫物語は解説によれば鎌倉時代の一女性がT夫人の口を借り数年に亘って話たるものを淺野和三郎先生が筆
記したのである。
自分が、以上の事をこの集の後に
記したのは、これらの作品を書いた時の自分を幾分でも自分に記念したかったからに外ならない。
二丁目の我が借家の地主、江戸児にて露地を鎖さず、裏町の木戸には無用の者入るべからずと式の如く
記したれど、表門には扉さへなく、夜が更けても通行勝手なり。
この名を、原稿用紙の片隅に
記した時は、私一人しか認めることの出来ない名前であったのだから、確かに、この世に存在し得たものではなかった。
だからその時間も、機械的にペンを動かして、帝劇の筋書の英訳のやうなものを根気よく筆
記した。
すぐ女中の案内で、大く宿の名を
記した番傘を、前後に揃へて庭下駄で外湯に行く。
このシリア文字は、大體に於て景教に關係ある僧侶約七十人の名を
記したもので、その大部分には之に相當する漢名を添へてある。