並んで立つてゐる左手の石は表の字が
まるきり読めない、裏面には、生国 伊勢三重郡浜田住 俗名浜田屋弥兵衛とあつて死亡の年月は彫られてゐない。
つまり私の家は
まるきり雨戸がなく、ガラス戸だけの小家であるから、冬のむさし野の寒さをこの三年間身にしみて感じてゐるせゐもある。
「君! このカフェーのキュラソーは
まるきりだめなんだよ。
内気で淑かな娘らしい深雪と、勝気で男優りの淀君とは、女として
まるきり正反対の性質ですけれど、私にはこの二人の女性に依って現わされた型が好きなのです。
ところで自分免許のこの老熟先生も実はさすがに
まるきり老熟し得ないと見えて、実際界の事がうまく行かず、このごろは家にばかり引きこもっていて多く世間と交わらない。
今は襟の長い外套がはやつてゐるのに、おれのは襟が短かくてダブルになつてをり、生地だつて
まるきり湯熨がしてないんだ。
これがわれわれ仲間の所謂※夜会※なんでな! まあ言つて見れば、あなた方の舞踏会に似たやうなものではあるが、さうかといつて、
まるきり同じものだとも申しかねる。
この
まるきり忘れることの出来ない一部分が今、「吶喊」となって現われた来由である。
わたしの想い出す故郷は
まるきり、こんなものではない。