甚兵衛は他の若武者と共に細川勢の殿をして戦いながら
退いた。
殊に女は赤子の口へ乏しい乳を注ぐ度に、必ず東京を立ち
退いた晩がはっきりと思い出されたそうです。
本能寺の変が報ぜられたのは、同月四日の夜に入ってからであるが、陣中の周章は一方でなく、戦半ばにして、勝家は越前に、盛政は富山に引き
退いた。
兵衛は蚯蚓腫になった腕を撫でながら、悄々綱利の前を
退いた。
かの女は「まあ!」といって、身体は臆してうしろへ
退いたが、眼は鋭く見詰め寄った。
相変わらず、進んだり、
退いたり、立ち留ったり、の動作を続けているのです。
下谷町二丁目の小間物店、古河屋政兵衛の立ち
退いた跡には、台所の隅の蚫貝の前に大きい牡の三毛猫が一匹静かに香箱をつくつてゐた。
併し世の中が変ろうというところへ生れあわせたので、生れた翌年は上野の戦争がある、危い中を母に負われて浅草の所有地へ立
退いたというような騒ぎだったそうです。