父はこの月の七日、春雨さむき朝、逝水落花のあわれを示し
給いて、おなじく九日の曇れる朝、季叔の墓碑と相隣れる処を長えに住むべき家と定め給いつ。
古事記によると、我が国の神達は、盛んに国土を産み、いろいろ特殊の専門というか、技術を弁えられたさまざまの神々達を産むことに成功し
給うたと書いてある。
一時は「神ほとけも讐の上を守らせ
給うか」とさえ歎息した。
しかし迫害が烈しいだけに、「万事にかない
給うおん主」も、その頃は一層この国の宗徒に、あらたかな御加護を加えられたらしい。
山県参軍は二十五日に博多に着き、征討総督も川村参軍を従わせられて翌日に御着、本営を勝立寺に置き
給うた。