東京を立つとき心殘だつたのはこの編輯後
記が書けてなかつたのと、先日飯島を見舞つたとき一度アイスクリームを持つて行くと約束してあつたことだ。
結婚前の日
記がわりに細かく、丹念に続けられてゐるのに反し、結婚後は、ずつと飛びとびに、それも心覚えの程度にしかつけられてゐないのも、私にはうなづかれる。
時にはまた詩論が、またある時は紀行や日
記が、そして、稀には美術評や音譜やが何頁かを占めることもあるだらう。
この控には、「四月二十七日被下被差免候」との追
記がある。
※「遣つた」の「遣」、「十分に」の「に」、「外に出で」の「で」には、底本では、原稿不鮮明のため、読みとりに確信が持てないとの注
記が入っています。
一茶の恥しい日
記が後から/\出て來ても、一茶の文學が嗜かれ、一茶が磨かれ、よい人間生活の將來を希求した人として嗜かれて來るばかりではありませんか。
そうした「動機もなく我とわが生命を断った」人間の一人が書き遺していった手
記がその男のテーブルの上に発見され、たまたま私の手に入った。
デジタル化にあたり、『尾崎放哉句集』(彌生書房)『尾崎放哉全句集』(春秋社)を底本とし、表
記が異なるものは双方を掲載した。