かうして、理会を失はぬ歴史として持ち伝へたのであつて、古事
記の方では、それがはつきりと文献の上に現はれてゐないといふだけである。
、但し今日になりますと、干宝が『捜神
記』をかいたのは事実であるが、その原本は世に伝わらず、普通に流布するものは偽作である。
これも『捜神
記』と同様に、早くわが国に渡来して居りますので、その翻案がわが文学の上にもしばしばあらわれて居ります。
僕はいつか西廂
記を読み、土口気泥臭味の語に出合った時に忽ち僕の母の顔を、——痩せ細った横顔を思い出した。
前回には極月十三日の訪問
記をかいたが、十二月十四日についても、一つの思い出がある。
本所の印象
記の一節にかういふことを加へるのは或は私事に及び過ぎるであらう。
「金毘羅利生
記」の主人公はあるいは僕の
記憶に残った第一の作中人物かもしれない。
が、それにもかかわらず、あの「わが袖の
記」の文章の中にはどこか樗牛という人間を彷彿させるものがあった。