わたしはある批評家の云ったように、わたしの「
作家的完成を棒にふるほど懐疑的」である。
彼は敷島をふかしながら、当然僕等の間に起る愛蘭土の
作家たちの話をしていた。
頭の毛を、長くもじゃもじゃ生やしている所では、どうも
作家とか画家とか云う階級の一人ではないかと思われる。
当時、発表する意志も、発表する機関もなかった自分は、
作家と読者と批評家とを一身に兼ねて、それで格別不満にも思わなかった。
彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は
作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。
しかし更に近代ではかう云ふ小説の
作家としては何びともジユウル・ルナアルに若かない。
この点で、彼等と、日本の自然派の
作家とは、大分ちがふ。
その度に「父と子と」の
作家は、やや驚いたやうに眼を挙げながら、嬉しさうに滑らかな返事をした。
「エピキユウルの園」の思想家、ドレフイイユ事件のチヤンピオン、「ペングインの島」の
作家だつた彼もここでは面目を新たにしてゐる。
しかも
作家のつける折紙のほうが、論理的な部分は、客観的にも、正否がきめられうるから。