強いて形容詞のなかへ入れられないような人間同志が無上の信頼と哀
楽と相憐とを共にして生きて居る。
二十五年前には琴や三味線の外には音
楽というものが無かった。
ただ野田山の墳墓を掃いて、母上と呼びながら土に縋りて泣き伏すをば、此上無き娯
楽として、お通は日課の如く参詣せり。
其が、冬を本義とする処から、夏演奏する神
楽と言ふ意を見せて、新しい発生なる事を示したのである。
金の無い人が、その余生の道
楽として、充分
楽しめるほど面白いものだと思ふ。
よんどころない必要に迫られて、心の奥底から無理に引き出すような言葉は、喜怒哀
楽とか飢渇とかの本能だけしか現わすことの出来ない動物の声のようであった。
また世阿弥の時代に、すでにこれを神聖視した文献もあるが、能
楽が徳川幕府の式
楽となつてから、その取扱はさらに一層厳粛味を加へて来たことは否めない。
こう言えば、諸君はこうした町が近代的生活と悦
楽との焦点になっていることを容易に想像するであろう。
しかし地獄と極
楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦って見た所で、容易に上へは出られません。
かくして長い間、原始人類の間に、安
楽と平和とが続いた。