いよいよ変に思って表へ駆け出して見ると、お天気の
良い往来に人通りも無く、二三軒先で支那人が、
別に活計に困る訳じゃなし、奢りも致さず、偏屈でもなく、ものはよく分る、男も好し、誰が目にも
良い人。
今茲に私の異態の知れない思想を一冊の詩集にまとめて世におくるといふことは、喜んで
良いことであらうか、悲しんで
良いことであらうか、私自身わからない。
「家でもどうかしてああいう
良い奉公人を置き当てたいものだと云って、うちの嬶なんぞもふだんから羨ましがっている位ですよ。
兄の文吉は康太郎の姉聟の金造に養子に貰われたから
良いが、弟の順平は乳飲子で可哀相だとお婆が引き取り、ミルクで育てている。
けれども、顔のことに触れられると、さすがに何がなし
良い気持はしなかった。
「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど
良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんなことが書いてあった。
中学でも師範でも、生徒さんや職員方から、好かれますし、土地の新聞もヘルンの話などを掲げて賞讃しますし、土地の人々は
良い教師を得たと云うので喜びました。