(一しょに大学を
出た親しい友だちの一人に、ある夏の午後京浜電車の中で遇ったら、こんな話を聞かせられた。
そうかと思うと、新内の流しに
出た事もあると云う男なんで。
「御経を承わり申した嬉しさに、せめて一語なりとも御礼申そうとて、罷り
出たのでござる。
すると果して上り列車は二三分前に
出たばかりだつた。
やつと隧道を
出たと思ふ——その時その蕭索とした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐるのを見た。
頓死する四五日前、彼が焼酎を飲んでゐると、池の向うにある洗心亭へ、白い装束をした公卿が一人、何度も
出たりはひつたりしてゐた。
どこもかしこも、炎天のほこりを浴びたこの町の辻で、わずかに一滴の湿りを点じたものがあるとすれば、それはこの蛇の切れ口から
出た、なまぐさい腐れ水ばかりであろう。